産後うつを支えてみて(夫の視点)ー経緯ー④

2025年11月9日

このページについて

こんにちはそらです。このページは産後うつについて夫に視点から経験を元に書いています。少しでも同じ状況で苦しんでいる人や悩んでいる人の救い、助け、参考になれば幸いです。

 ①、②、③もありますのでまずはそちらも読んでいただけると流れがわかります。

先生を変えたことによる転機

 一度目の診察で失敗したため私たちは不安な気持ちでいっぱいでした。病院に電話をかけ、前回の先生を変えてもらえませんか?と尋ねたところ案外すんなりと受け入れてもらえました。

 当日、当然のように不安な気持ちがある中、子供を私の実家に預け病院に行きました。診察券を渡し、待合室で待つ時間、当然不安は消えませんでした。その不安は当然、奥さんも同様だったと思います。ただ、奥さんに当時の事を聞くと「よく覚えていない」と返ってきます。その言葉に当時の必死さが感じられると未だに思います。しばらく待ち、前回とは違う診察室に通されました。当然のことながら前回の先生とは違う先生がそこには座っていました。前回の先生よりも年齢は上のように見えます。よくよく聞くとその病院の院長とのことです。

 後で振り返ると、その時は事前のカウンセリングがなかったなと。こちら側としては前回の先生を変えてほしいと申し出ているのでもう一度0からなのかなと思っていましたが、そこがなくスムーズに先生まで行けたのは良かったのかもしれません。

 診察が始まり、こちら側の簡単な説明を行いました。恐らくカルテは前回の先生から引き継がれていたんだと思います。一通り話を聞いてもらった後、先生から開口一番「産後うつだね」と。

 奥さんの目からは一粒、また一粒と大粒の涙がこぼれました。「私がおかしい」「周りと同じようにやれないのがプレッシャー」「泣き声が聞けない、それは甘え」「きちんとやらなきゃ」そんな言葉で自分を縛っていたんだと思います。そこに「産後うつ」という診断がつくことで奥さんの緊張は一気に解け、ほんの少しプレッシャーからの解放、「自分のせいではない」という気が少しだけでもしたんだと思います。

 私は思いました。世の中、「自責」とか「他責」という言葉があり、「自分のせいにする方が良い」「人のせいにするな」という風潮があります。それは状況によるし、その人の立場によるのだからひとくくりにしてしまうのは非常に危険だと。正直、私自身も「頑張れない」と思った時は自分を責めます。そんな時はそれでいいのかもしれませんが、本当に自分のだらけや、気合いのなさが原因でそうなっているのか。もしかすると環境や、病気がそうしている可能性はないのか。そう考えるように今回のをきっかけに考えるようになりました。確かに、気合いが足りないとか、人のせいにするなとか、病気のせいにするなとか。精神論で解決する方法があるかもしれないですが、そうじゃない可能性もあると頭に置く必要があるんだと学びました。

 話は戻り、診察中に先生からは入院を勧められました。ただ、奥さんはそれを拒否しました。たしかに、奥さんが子供や私に危害を加える可能性は捨てきれませんし、病院がつきっきりで管理してくれた方が治る可能性は高く、期間が短くて済むと思います。ただ、ここに来るまでに奥さんが子供に対して愛情が少しずつ戻ってきていること、病院を怖がっていること、一緒に暮らしたいと思っていることを考えると、奥さんにとっては家にいた方が良いと考えたため、私も奥さんの意見を尊重しました。院長は入院を勧めましたが、私たちの意見を聞き、今回は薬の治療を勧めることにしました。ただ、何かあれば入院しましょうとの事でした。

回復の兆し

 ここまで一か月半ほどだったと思います。今回の薬は睡眠薬ととん服の感情を抑える薬。ほんの少しだけ希望が見えてきました。前回の薬ほど眠ることはなく、生活自体に支障はなさそうでした。ただ、それで完全に治るとかそんなわけはありませんでした。特効薬ではないのです。当然のように奥さんの精神が不安になることはありました。それでも、以前よりも少しだけその回数が減ったよう感じました。回数というか、不安定になる時間が減った。という方が良いかもしれません。ただ、以前のように明るく笑ったり、元気いっぱいというわけではありません。イメージとしてはマイナスだったものがゼロに近づいたといった感じです。

 それでも僕としては進歩だと感じていました。感情が爆発することは多々ありましたが、その際はとん服の薬を飲むようにしていました。最初の頃はこのとん服を飲む。というのも大変でした。本人は怒っている時間、言うことを聞きません。こちらの発言に耳を傾けない、聞こえていない。飲んでもらおうとしてもそこまでたどりつかないのです。そこは少し苦労した記憶があります。ただ、一度飲んでもらえば少しして落ち着きを取り戻していました。後半になれば、その感情の不安定を感じて自分で薬を飲むようになっていましたが、それでも感情は急に上がったり下がったりします、とん服を飲まずにそのまま感情が爆発なんてこともありました。

 ただ、以前よりも前向きに考える時間が少しづつ出てきて、一緒に行動し、出かけることができるようになってきました。これは間違いなく回復に向かっていると私は感じていました。というか、私の希望もそこには載っていたと思います。

 よく考えると、「よし!治った!」と風邪のようにある日突然来たりはしませんでした。「あれ、そういえば最近・・・」と思い、そういった会話も増え、気づいた時には過去になっている。そんな感じでした。なので、これによって治りました!と一概に言えるものはないと思います。少しづつ、確実に歩みを進める。そんな感じでしょうか。時には後退することもあったと思います。その手助けの一つが薬だったといった感じです。

 あなたの感じている今の苦悩や苦しみもいつか奥さんと一緒に話せる日が来ます。ただ、無理はしないようにしてください。無理だと感じて離れることも、その選択は間違いじゃないと思います。子供、そして奥さんを守ることが最優先です。

育休の終わりと奥さんのきっかけ

 病院に通い、薬を飲む、そんな日々が2か月ほど経った頃、私の育休も終わりを迎えようとしていました。今思えばかなりの賭けだったと思います。もう少し休めば良かったと。ただ、当時はお金の心配、生活の心配が大きくあったので仕事に戻らなきゃ。と思っていました。

 ただ、前述のように少し希望が見えていたのでその育休を終え、職場復帰という判断に至ったのだと思います。今でもこれでよかったのか。もう少し、稼ぎがあって、生活に、貯金に余裕があればと後悔します。私が育休を3ヶ月にしたのは、育休の制度として、3ヶ月を超えると支給額が減る。というのがあったからです。育休中は給与の8掛けほど、国から貰えます。これはパパもママも変わらなかったと思います。それが4ヶ月目から6掛けになるのです。詳しくは別の記事で解説したいと思います。

 そんな理由で職場復帰を目前として、奥さんとよく話をしていました。「もう少しで職場戻るけど大丈夫?一人で見れそう?」と。よく考えればかなり酷な質問だったかもしれません。が、当時は私も余裕がありませんでした。奥さんは「不安」「一人でできる気がしない、でもやるしかない」と言っていました。確かにその通りです。ここで「任せて」と返ってこないことは少し考えればわかるはずです。

 ただ、そんな状況でほんの少し事態が好転したなと感じたきっかけがありました。

 それはある時奥さんがお風呂に入っていて、私が子供を抱っこしているときでした。奥さんが突然風呂場から私を呼びました。

「あと二週間で死ぬわ。それまで楽しんでみる」

 いつもの私なら思考停止で「なんでそんなこと言うんだよ」とか「そんなのダメだよ」とか言っていたと思います。ただ、なぜかその時だけは

「わかった。俺も楽しませれるようにするわ。お金も気にせず使うべ」

と出てきたのです。未だになぜその言葉がスッと出てきたのかはわかりませんが、自然とできました。ですが、それが良かったようです。奥さんはその言葉を予想していなかったのか、お風呂から上がってきた表情を見ると気のせいかもしれませんがほんの少し、嬉しそうな表情とも少し違うような、前向きな表情をしていた、ような気がしました。

 奥さんとその当時の話をすると、やはりそれは印象に残っているようで、その言葉はすごく印象に残っていると言っていましたし、それがきっかけで少し前向きになれた気がした。と言っていました。僕のそれまでしてきた励ましやハグなんかよりよっぽど効果があったみたいです。

 その言葉がきっかけとなり本当に事態はより好転していったと思います。と言っても、そこから急に戻ったというわけではありませんが、ほんの少し前向きになったと記憶しています。

職場復帰

 いよいよ、職場復帰です。僕も不安は多くありましたし、仕事が比較的余裕ある時は休んでいたり、奥さんの方から休んでと言われたりしていました。

 正直、僕が仕事の間は何が起きているのかはわかりません。奥さんを信じることしかできませんでした。ただ、時々、早く帰ってきてとか、とん服飲んだとか。実家にいるとか、当然のように完全に回復していたというわけではありませんでした。先ほども書きましたが、やっぱりその期間も休めば良かったなと思います。それは僕の後悔かもしれません。

 仕事に戻りながら土日は一緒に過ごし、そのころから家を見に行ったり、散歩をしたり、野球を見に行ったり、ほんの少しずつ日常が戻っていき、その間に子供はどんどん成長していき、と徐々に徐々に、気づけば、といった感じでした。

 奥さん的には離乳食を作るのも気分転換になったというか、少しやることができたので楽しみだったと言っていました。つまりその頃には回復傾向だったということです。

最後に

 ここまで見てくださりありがとうございました。かなり長くなってしまいましたし、最後の方は何か大きなトラブルがあったわけではないので駆け足になってしまいましたが、3ヶ月で治ったとかそういうわけではないです。1年でようやく回復したよね。と思えるようになっていました。ただ、これも個人差があると思います。

 当時僕は助けがありませんでした。周りの人は心配してくれたり助けてくれたりはありましたが、同じような経験をした人もいなかったですし、それでも仕事を続けていた人、育休なんてと思っていた人も多くいたと思います。そして、ネットでも産後うつの人は多くいましたが、それを支える側の声、パパの声がなかなか見つかりませんでした。

 なので私はこのブログを立ち上げました。少しでも誰かの心が救われればと願います。

 このブログでは今後も産後うつに関する情報や、私が役に立った情報なんかを発信していきます。インスタの方にも簡単に見れる情報をまとめているのでぜひ見てください。

ここまで長文にお付き合いいただきありがとうございました。

ぜひ他の記事も見ていってください。