産後うつについて(夫の視点)ー経緯ー③
このページについて
こんにちはゴリラです。このページは産後うつについて夫に視点から経験を元に書いています。少しでも同じ状況で苦しんでいる人や悩んでいる人の救い、助け、参考になれば幸いです。
①、②もありますのでまずはそちらも読んでいただけると流れがわかります。
共同生活
一か月検診を終え、再び始まった共同生活。これですべてが元に戻る。といったそんな甘いものではありませんでした。奥さんの不安定な状態は続き、叫ぶことや、怒ること、反対に急に機嫌がよくなったり、そうかと思えばふとした瞬間に怒ったりと、まるで感情がジェットコースターのようでした。
元々そのような性格なのでは?と思った方もいるかもしれません。確かに、昔から怒ったりといったそういった時間はありましたが、感情がここまで振れることはありませんでしたし、様子が明らかに違いました。個人差があるかと思いますが、よく言われる生理中の状態が常に、何か月も続き、より精神的な影響を大きく受ける。そんな感じでしょうか。あとは頭が正常に働いていないような雰囲気というんでしょうか。これはあくまでも僕の感覚ですがそんな印象も受けました。
そんな状況もあり、すぐに日常というわけにはいきませんでした。
対策
このような状況を続けることで回復に向かう気はしませんでした。自分には何度も時間がたてば回復すると言い聞かせていましたが、そうなる未来は見えず自分自身が不安になる一方でした。たぶん、奥さんも同じ気持ちを感じていたと思います。
一緒に暮らし始めてから日記をつけることにしました。元々父親が書いていたこともあり、子供が生まれたら自分も同じように始めてみようと思っていたのもあったし、奥さんの気持ちの整理や吐き出し場所、客観的に自分の心情を見るきっかけになればと思い、一緒に始めることにしました。
これが意外にも効果があったと思っています。すぐに効果が表れたとは思いませんが、奥さんにとっても自身の感情を振り返るきっかけになりそれの積み重ねで改善していったのもあるかもしれません。
とにかく手探りの状況の中、私たちは市役所を頼ってみることにしました。きっかけは覚えていないのですが、ある時市役所内にある「子ども支援センター」や市で行う検診を取り仕切っている部署に相談をしに行きました。それもかなり効果のある行動の一つでした。
担当の方との相性が良かった、親切に話しを聞いてくださり、押し付けのアドバイスをしない、病院の提案はするけど勝手に進めない。こうした部分がよかったんだと思います。
市役所に着き、話を始めるなり奥さんはぼろぼろと涙が止まりませんでした。それは今まで誰も理解をしてくれない。話を聞いてくれない。不安。こう言った感情が入り乱れていたんだと思います。私も当然話を聞いたりしていたのですが、おそらく第三者が話を聞くのと身内が聞くのとでは別なんだと思います。
そこで初めて「病院」というワードが出ました。それまではそんなことも考えてはいませんでした。少し休めば治る。一時的なもので奥さんは普通の人よりも少しそれが激しいだけ。そう思っていました。でも、「病院」「産後うつ」とワードが出たのでしっかりと意識するようになりました。
支援課の方々は我々に親切に情報を教えてくれました。こう言った病院があります。だとか、こういった先生なら合いそうだとか。いろいろ考えて案を出していただきました。この時点で私は少しほっとしたような気持ちもありました。一人では抱えない方がいい。そう感じました。
病院へ
支援課で病院の予約をしていただいたので、我々は病院へ行きました。息子を実家に預け向かったのですが、その道中、とてもじゃないですが私の奥さんとは思えませんでした。まるで別人なのです。いつもは元気に話をしてくれたり、車で流れている映像について話をしたり笑ったりしているのですが、一度も笑うことはなく、話もまともにできる状態ではありませんでした。遠く窓の外を見つめていました。スマホすら触っていなかったように思えます。
そうして病院に到着し、呼ばれるのを待ちました。私たちが紹介された病院は精神科で、産後うつを専門にやっているのではなく、他の患者さんもいる状態でした。
私たちは呼ばれ、部屋に入ると最初はカウンセリングが待っていました。先生ではなくカウンセラーの方が話を聞き、今の状況や何があったのか、どのような気分なのか、睡眠はとれているのか等、病院で言う問診を行いました。そうしたのち、別の部屋に移動し先生との話になります。奥さんはあまりうまく話すことができませんでした。これは後で聞いた話なんですが、ほとんど頭が回っておらず何を話しているのかわからなかったとのことでした。
そんな中、先生との話がスタートしました。がそれは僕が思っているようなものとは全く違いました。僕の創造では、いわゆる内科や外科の病院と同じように症状を確認して、それを治すためにこうしていきましょう。といった話をするのだと思っていたのですが、そうではなく、「今、あなたは壁にぶつかっていてその壁を乗り越えられなかっただけ」「ご家族は乗り越えられていたけど、たまたまあなたが越えれなかっただけ」等の症状に対してではなく、その考え方というか精神面の指摘を20分ほどされました。僕もたまらず「どうすればいいんですか?」と聞きましたが、明確な答えはなく同じようなことを繰り返し言われるだけでした。
その後薬をもらい病院を出ましたが、おそらく奥さんはかなりショックを受けたと思います。何とか病院まで来たのに明確な対処法等ではなく、説教のようなものを受けて終了し、希望が閉ざされてしまったような感覚だったのではないでしょうか。僕も似たような気持ちでした。これで果たして回復に向かうのか?そんな疑問ばかり浮かんできまいた。僕は精神科でもなければ心理学者でもないので皆さんがこの方法をまず最初に行うのかはわかりませんが、これがうちの奥さんにマッチしていなかったのは確かに言えることでした。
悪夢の再来
その晩は薬(睡眠薬)を飲んで子供の事は私に任せて寝るように言いました。薬は効いたのか、夜の授乳時にも起きず久しぶりにぐっすり眠っていたようでした。
が、それがよくなかったみたいです、翌日奥さんが起きたのは昼過ぎごろ。かなりの時間寝ていました。恐らく薬が効きすぎていたのでしょう。そしてそれが奥さんの罪悪感という引き金を引き、精神状態へ干渉しました。起きて時計を見るなり自身がどれだけ寝ていたか、その間どれだけ私に頼っていたのかを悟ったのでしょう。そのタイミングで子供が泣いていたのもあり、奥さんは叫び声をあげ、息子にも罵倒を、私にも「お前もどうせ私が邪魔なんだろ」「死ねばいいと思っているんだろ」「うるさい」等、確かに喧嘩をすることも今までありましたが、これほどの言葉を言うこともなかったし、まして叫びだすことなどありませんでした。そして私は再び離れて暮らすことが脳裏に何度もちらつきました。そして一言「出ていけ」と。こうして私と子供は再び奥さんの元を離れることになりました。
この時ばかりはなぜこうなってしまうのか、どうしてこうなったのか。と神を毎日恨むほどでした。出産がわかる前から神社にも通っていましたが、何もしてくれないのか。と毎日恨みました。
ただ、裏を返せば子供も、奥さんも二人とも無事で生きている。それだけで十分ありがたいことでした。でも当時の僕にはそんな余裕はありませんでした。
離れ離れ
再び離れ離れの時間となりました。僕は子供を連れて実家に行き、奥さんは一人アパートに残りました。奥さんからは離婚のお願い、どうしていいかわからない、結婚している意味がない、等多くの考え、悩み、苦悩がLINEで送られてきまいた。
これだけ聞くと鬱じゃなく、いわゆるメンヘラに近い状態じゃないかと思われるかもしれません。当時の僕もそれを疑っていました。でも、そうではないんです。構ってほしいからとか、寂しいからとかではありません。思考がハマってしまって死ぬこと、離婚、ぐらいしか考えることができない状態になっていたんだと思います。
毎日、ネガティブなLINEが届くこと3日間。さすがにそろそろ話しをしたい。と思い、僕はアパートに行きました。しかし、以前と同じでその扉は固く閉ざされていました。インターホンを鳴らしても反応はなく、一向に扉が開く気配はありません。まさに今の奥さんの心を現しているようでした。
僕は必死にその扉を開けてもらえるように説得するしか方法はありませんでした。何度も電話をかけ、LINEをし、説得を試みました。ですが、一回目の時と同様に中々開く様子はありません。1時間ほど粘ったときでしょうか。ようやく扉が開きました。中に入ると真っ暗になった部屋にベッドで横たわる奥さんの姿。僕が入ってきたからといってピクリともしません。僕はそっと近づきましたが、それでも反応はありません。一緒にベッドに入ったと時ようやく反応がありました「帰って」「もう無理」その二言だけでした。
前回同様僕は話をしました。いきなり「死なないでほしい」という言葉が出るのをグッと抑えました。「カリギュラ効果」という人間が禁止されたことや否定されたことを反対にやってしまう。という心理行動を思い出したのです。そして奥さんの意見、話をまずは聞くことにしました。そして決して否定をせず、自分が仲間であることを思い出してもらおうとしました。効果があったのか、奥さんとは話をすることができました。
事の発端
話をするうちになぜこのような事が起こったのか。どういう気持ちだったのかを話してくれました。奥さんはぼろぼろと大粒の涙をこぼしながら、「薬の効果による長時間睡眠、午後まで寝てしまった罪悪感が大きくあり、それによってすべての事を任せてしまったのが耐えられなかった。そのあと聞いた泣き声で完全に切れてしまった」とこう語っていました。
僕が調べたところによると、真面目な性格な人、0か100の人、人に任せるのが苦手な人は精神的にもまいってしまう確率が高いそうです。自分ができるはずなのに他の人がやってしまった場合など、そういった時に「自分の仕事なのに」と罪悪感を感じると言います。詳しくは「樺沢紫苑」先生のインスタグラムやyoutubeを見てみてください。産後うつの人にとって有益な情報、が多く語られています。
奥さんの話を聞き、「一緒に暮らしたいけどもう無理」「このままだと子供を殺してしまう」そう言っていたので、僕は「もう一度病院に行ってみよう、今度は先生を変えてもらおう」と提案しました。奥さんと話をしていると完全に諦めていないことがわかりました。だからこそこの提案に賭けてみました。
最初は「何も変わらない」「意味がない」「どうせ無理」とネガティブな反応だけでしたが、「あと一回だけ」と僕がお願いしたことに同意してくれました。
こうして2回目の病院での診察が決まりました。ここが最大のターニングポイントとなりました。
かなり長くなっていますが続きは④にて書きたいと思います。ここまで読んでいただきありがとうございます。この話も終盤に差し掛かっていますのでもう少しお付き合いいただければと思います。次は2回目の病院での転機からその後どうなったのかを書いていきたいと思います。
インスタも始めました。ブログよりも簡単に産後うつの情報を知りたい方は一度チェックしてみてください。
sangoutsu_care_papa.mamaそら | 産後うつに悩むパパママを減らしたい